Happy Birthday to Me! ~運命を切り開く法~



今月は私の誕生月でした。
華やかな誕生会は好きではないので、自分がこの世に生を受けた意味を
ひとりでしっかりと噛みしめながら誕生日を迎えました。

今年は自分へのバースデープレゼントとして、
中村天風師の直筆の富士の絵を購入しました。



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中村天風師は、若い頃は、軍事探偵として活躍しましたが、
当時不治の病であった奔馬性結核になりました。
治療法を見つけるため、日本国内のみならずアメリカに渡り、
さらにヨーロッパを尋ねましたが適切な治療法は見つかりません。
諦めて日本で死のうと船に乗ったところ、インドの聖者と出会いました。
お前はまだ助かる。俺について来いと言われ、即答して
ヒマラヤ山中へ行き、2年半修行し、結核を克服しました。
その時の体験をもとに心身統一法を編み出し、日本国中に伝えました。
松下幸之助、稲盛和夫など実業家、東郷平八郎など軍人、
双葉山、広岡達郎などアスリートをはじめ、多くの人々が尊敬、師事していました。
私も20代の頃から中村天風師の講習録「成功の実現」「盛大な人生」「心に成功の炎を」の三部作をバイブルにしていました。



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中村天風師
私は自分のスマートフォンの待ち受け画面にしています



中村天風の教えによって、病気が治った人、会社の経営が立ち直った人、
人生が改善した人が多くいました。
そんな人々が中村天風師にお礼を言うと、天風師は
俺の教えを理解していないと文句を言いました。

身体が良くなるとか、会社経営がうまく行くとか、
人生が生きやすくなるとか、そんなことを
俺は教えたいんじゃないんだ。

真理に順応して完全な人生に生きようとするならば、
人生の幸福というものを安易に求めてはいけない。
無事平穏を幸福の目標としないということである。

苦悩を嫌い、そこから逃れたところに幸福があると思ってはいけない。
健康なら幸福だろうとか、運命が良ければ幸福だろうと考えるのは、
凡人の気持ちと言うべきで、苦悩というものは人生についてまわるものである。
苦悩から離れた人生というものは、断じてあり得るものではない。
本当の幸福というものは、そういうところには絶対にないのである。

本当の幸福とは、健康や運命の中にある苦悩というものを
乗り越えて、それを突き抜けたところにある。


このように説かれ、これを第一義的な生き方とされました。
つまり、人生には山もあり谷もありますが、良い時も悪い時も
悠然として過ごしていくのです。


そしてこの心境を山岡鉄舟の道歌を引用して
「晴れてよし、曇りてもよし、富士の山」
と良くおっしゃっておられました。

私もいつも何事があっても動じない心を養いたいと思い、
中村天風師の富士の絵を購入したのです。


少し前に友人から占いの勉強をしたいと相談がありました。
いろんな種類の占いがありますが、
比較的簡単な占いにタロットカードがあります。
そちらと易経を勧めました。

深くて難解ですが、本気で学ぶなら易経は良いです。
易経には、筮竹(ぜいちく)などを使って占う「卜(ぼく)の易」の他に、
哲学的な「義理の易」があります。
志のある経営者の中には、義理の易を
学ばれている方が少なからずいらっしゃいます。
私が若い時に学んだのも、義理の易です。

義理の易では事象を占うのでなく、事象を自分でどの卦か判断して、
自分がどのような行動を取るべきかを慮(おもんばか)ります。

明治維新で活躍した志士たちは、20代、30代の若者が多かったのですが、
なぜ若い彼らに国を改革するだけの判断力と行動力があったかと言えば、
易経や論語をはじめとして四書五経を学んでいたからだというのが
財政界に大きな影響力を持っていた思想家・安岡正篤先生の見解です。

明治維新で活躍した志士のひとりに佐久間象山がいます。
佐久間象山は非常に優秀な人物で、3歳の頃には
易経の64卦を暗記するほどの神童ぶりを発揮したと言われています。

門弟の吉田松陰をはじめ、勝海舟、坂本龍馬、橋本佐内ほか
多くの日本を担う人材を輩出しました。

佐久間象山はその見識を見込まれて薩摩や長州などから
多くの誘いを受けましたがすべて断りました。
しかし、一橋慶喜公から紹請を受けるに至り、
ついに応じて京都に赴くことになりました。

当時の京都は暗殺がはやり、物騒な場所でした。
佐久間象山は、ことあるごとに易で占っていたので
弟子が心配して、今回の上洛を占ったか聞くと佐久間象山は、
「易は迷った時にするもの。
今回は迷ってないので占う必要はない」と答えました。

易を立てて欲しいという弟子の願いに仕方なく佐久間象山が占うと
夬(かい)の卦(正確には沢天夬の上爻変)が出ました。

これは泣き叫んでもどうしようもないほどの危険が迫っている。
結局は凶に終わるといった意味になります。

それでも佐久間象山は騒がず、
「この卦を得て上洛が凶であることは分かったが、私は行くしかないのだ」
と言って、京都に向けて出発しました。
そして、京都木屋町で凶刃に倒れてしまいました。

佐久間象山の占いが当たっていたのです。
それではなぜ佐久間象山は、それを押してでも京都に行ったのでしょうか?

私は20代でこの話を読んだ時、感動しました。
男ならやるべき時は、どんなことがあってもやるべきなのです。
たとえ、それが失敗に終わっても、立ち上がるべき時に
立ち上がらなかったら男でなくなってしまいます。
自分の財や命を惜しんで卑怯に生きながらえるより、
やるべき時には立ち上がらなくてはいけないのです。

残念なのは、その心意気にもかかわらず、
天が味方せず佐久間象山が暗殺されてしまったことですが、
ここに1冊の書物があります。
『陰騭録』(いんしつろく)という書物です。

陰騭録の著者・袁了凡(えんのりょうぼん)は、幼少の頃、
孔という仙人のような易の達人に出会い、占ってもらいました。

当時、中国では科挙制度というものがあり、役人になるためには
いろんな試験に合格することが大切でした。
孔老人は、袁了凡がどの試験は何番目で合格するなどということを
占いましたが、ことごとく的中していました。
また、一生の吉凶を占って、職業や53歳の寿命であること、
子供ができないことを伝えました。
 
その後、袁了凡は事ある毎に孔老人の告げた事と突き合わせましたが、
ことごとくその通りであったので、袁了凡は運命論者になってしまい、
あがいても無駄だと人生を淡々と送るようになりました。

ある時、雲谷禅師のもとで3日3晩眠らずに座禅しました。
雲谷禅師は、袁了凡の雑念のなさに驚きました。
「お前は三日の間座っていたが、邪念は一つとして起きなかった」

袁了凡はそれに答えて
「私は孔先生という易の名人に占ってもらったことがあります。
それによって一生は既に定まっていることを知りました。
それで邪念を持っても仕方ないと思っています」と言いました。
 
それを聞いた雲谷禅師は、
「私はお前を優れた人物であると思ったが、
今の話を聞いてお前が凡人であることが分かった」
と大笑いしながら言いました。

雲谷禅師は続けます。
「試験の合格や不合格、子供のあるなし、
すべてその人の持っている徳の量によるものである。
これからは善徳を積むことに精進し、努めて人の言葉を聞き容れる度量を持ち、
和やかな愛情を持つようにしていけば、
今後の色々な事柄は今日生まれたかのように新しくなって運命が変わっていく」

雲谷禅師は、言動を善事と悪事とにそれぞれ格付けして
点数を付けた功過格という冊子を袁了凡に渡しました。

毎日の自分の所行をこれに書き付けて、善事ならばその数を書き加え、
悪事であるならば善事の数からその分の数を引いて書きなさい。
 
袁了凡はこのようにして運命の改善を始めました。
「これまではしたい放題の生活であったが、こうなると
一挙一動、一言一句おろそかには出来ず、人の見ていない
独りの時でも自然と行動を慎むようになった」
積徳の行に精進したのです。

その結果、合格できないと言われていた科挙の試験にもトップで合格し、
できないと言われていた子供が産まれ、
五十三歳と言われていた寿命も善行を積み重ねることによって八十三歳まで生きました。

災いも福も皆、自分の行動や心がけの結果として現れるもので、
幸福も不幸も皆、自分が招いたものなのです。


佐久間象山は、頭が良すぎたためか、自信過剰で傲慢なところがあり、
過激な言動が多く、敵が多かった人です。
自分の運命を変えていく為には、努めて人の言葉を聞き容れる
度量を持ち、和やかな愛情を持つようにして善徳を積むことが大切です。
佐久間象山はそれをしなかった為、
天が味方することがなかったのではないでしょうか。

占いの好きな女性はたくさんいらっしゃいます。
経営を占い師に依存している経営者もいます。
占い師に依存している芸能人もたくさんいます。

しかし、読者の皆様には占いに頼ることなく、
運命は自分で変えていけることを知って欲しいのです。


運命を作り替え、好ましいものにしていく。
これを造命術と言います。

そして、一見厳しく見えるような出来事にも、
中村天風師の教えのように悠々と乗り越えていく。


このふたつをできるようになることが、自分の人生を
かけがえのない素敵なものにしていくために必要なのです。


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コメント

§ おおおおお

でも、天風さんの本を読むと、その時その場所できっと必要な語り口だったんだなあと思えました。本当すごいです。業績もなんだかすごい時代を生きてきてたんだなあとびっくりでした。

§ Re:すごい

読んだのは、必殺フレーズの記事ではなく、中村天風師の本ですね。
勘違いしてました。
テープも聞かれたのですね。
私も偉そうな印象を受けますが、明治生まれの方なので、仕方ないと思います。

天風師のやり方も私は現代社会に合わせてアレンジしています。
しかし、あの時代にこれだけのことを考えつき、業績を残されたことはやはり素晴らしいと思います。

§ すごい

今読んでみていますが、とても読みやすいです。たとえもいろんな人のパターンがあって、CDを聞いたときには、偉そうな人だなあと思ったのですが、沢山の人の話を聞いてさらにその人達がどう思っていくかなどいろんなことを思って語っているのが伝わる気がします。って、そんな簡単な言葉では言い表せないようなものだとは思うので、すごいと思いながら読んでいます。

§ あはは

ヨーダ様のおかげで買うことが出来たのですね。って、ヨーダとても好評です。よろこばれています。と、お伝えください。ってちがうか。
是非手に入れてみたいと思います。

§ Re:おおおおお

川西先生

コメント有難うございます。
ヨーダ様が却下されたので(笑)
天風師の掛け軸購入しました。

中村天風師は20代の頃から
ずっと追いかけてきた人で
今でも人生の目標にしています。

川西先生も少し値段は張りますが
日本経営合理化協会出版局
「成功の実現」「盛大な人生」「心に成功の炎を」
の三部作を読まれると良いと思います。
きっと感動されます。

§ おおおおお

今回もとても感動しました。うーん。すごい人が沢山いるとは思いつつ、どんな風にすごいのかってのはまだまだ知らないことばかりで、勉強になります。これからもよろしくお願いいたします。

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プロフィール

永久 晶浩(ながひさ あきひろ)

Author:永久 晶浩(ながひさ あきひろ)
国立神戸大学医学部卒業
目白ポセンシアクリニック院長
https://ssl.possenssia.com/profile/
心のあり方まで含めた「美」についての総合研究者

古代ギリシアから現代アートまで古今東西の芸術的文化を研究している

主な著書に「アルファ型美人のすすめ~愛される美人vs.愛されない美人~」「『NO』と言えれば人生は開ける」

診療日誌を日々更新中

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