大人のための寓話「アリとキリギリス」


2年ほど音信不通だった友人から電話がありました。

その友人は自分でお店をやりたいとのことで、立ち上げに協力しましたが、危ないビジネスの運営の仕方をして私がもっと慎重にやるように忠告しても全然聞く耳を持たなかったので、そのまま疎遠になっていました。

事業は失敗して店は閉店したが、無理をし過ぎて身体もボロボロになり、夜は眠れず全身が痛むとのことでした。

とりあえずほっておけないと思い、点滴を受けに来るよう伝えました。
顔は青白くやつれて意識もぼ~っとしていました。
私の忠告を聞かなかったことをひどく後悔したそうです。

周りからも冒険はやめておくように言われていましたが、それでもやりたいと思ってやったことです。
ギャンブルをして負けたからといって後悔するのはおかしいと伝えました。
ギャンブルをして負けたのなら潔く負けを認めるだけです。

自分の持ち金を全部すってしまっても、それで借金ができても、やりたいことをやったのだから気持ちの整理をしてすっきりとした方が良いです。

私はアリとキリギリスの寓話を思い出しました。
すでにご存知とは思いますが、一応、書いておきます。

夏の間、アリたちは冬の食料を蓄えるためにせっせと働き続けますが、その間キリギリスはバイオリンを弾き、歌を歌って楽しく過ごしていました。
やがて冬が来て、キリギリスは食べ物を探すが見つからず、最後にアリたちに食べ物を分けてもらおうとします。

アリは「夏の間は歌っていたんだから、冬は踊ったらどうだい?」と食べ物を分けることを拒否し、キリギリスは飢え死んでしまうというものです。

この結末が残酷だということで、改変版があります。

食べ物を乞うキリギリスに
「さあ、遠慮なく食べてください。
元気になって、次の夏も楽しい歌を聞かせてくださいね」
キリギリスは、うれし涙をポロポロこぼしました。

良いような悪いようなすっきりとしない結末です。

面白い書物を知りました。
伊藤氏貴著
『Like a KIRIGIRISU “保障のない人生”を安心して生きる方法』
(KADOKAWA エンターブレイン)です。

aritokirigirisu2017.jpg

表(おもて)面に“好きなこと最優先”とあり、裏面に“いつか必ず越えられない冬はやってくる。そのときあなたは、どうしますか…?”

見栄っ張りのアリたちの本質をうまく利用し、「お隣さんはパンくずをこんなに恵んでくれました」と、誰が一番自分に食べ物をくれる慈悲深い人かを競わせる“恥と頭はかきしだい”作戦で多くの食べ物を集め、ありあまる食べものを目の前に高笑いするキリギリス。
これは、うまい! 実際にありそうです(笑)

仲間の悪口や仕事のキツさを吐露するアリたちに「それできみらは幸せか」と自分のみじめな状態を棚に上げて問うキリギリス。
こんな人間、実際いますよね。

秋がくる頃、夏を求めて異国へと渡る「冬を知らない」キリギリス。
このストーリー展開は私も考えたことがあります。

これは私が考えたストーリーですが、
現代社会は、情報化社会なので、冬が来ることは前もって分かります。
夏の間、優雅にバイオリンを弾いているかのように見えたキリギリスは実は少しずつ空港へと移動しながらコンサート会場を渡り歩いていたのでした。
冬になる前に空港から飛行機で南国に飛び立つキリギリス。
汗水たらして働いたアリは安全かというとそうでなく、土地開発でせっかくの巣をブルドーザーに破壊され、全財産を失ってあたふたと逃げ回るというストーリーです。

実際、日本ならバブル崩壊、アメリカならサブプライム問題で財産を失った人はたくさんいます。
真面目に働いているだけでは、成功しないどころか気づかないうちに失敗してしまうかもしれないのが現代社会です。

実は、アリとキリギリスの話はもうひとつパターンがあるそうです。
「夏の間歌ったなら、冬の間踊りなさい」
と言われたキリギリスは、
「歌うべき歌は、歌いつくした。お前たちは私の亡骸(なきがら)を食べて、生き延びればいい」
というものです。

カッコいい!

ただ生きるために働き続けるアリより、自分のやりたいことをやりつくし、悔いなく死んでいくカッコよく生きたキリギリスです。

アリとキリギリスの話は、遊びほうけるのではなく、いざという時に備えてしっかりと働き貯蓄をしましょうという教訓の寓話だと思うのですが、私は現代社会はそんなに単純ではないと思うのです。

安心して生きるためにできる限り保障のある人生を選びたいというのが安全志向の人間ですが、現代社会に安全な生き方があるとは思えません。
昔は、大企業に入っていれば生活が保障されましたが、今は大企業でもリストラが行われたり、倒産する時代です。

自分の身は自分で守るという高い意識を持ったしっかりとした精神の持ち主が生き残っていく時代ではないでしょうか。
しっかりとした精神を持ちながら自分の生き方を貫くキリギリス。
そして、自由に生きているように見えながらも、しっかりと情報を把握して南の国へと移動する抜け目のないキリギリスの生き方を学ぶべき時代ではないでしょうか。

どんな環境でもポジティブな生き方 ~喜神を含む~


久しぶりのブログ更新になりました。
皆様、お元気だったでしょうか?
今回は私の近況として、心の変化を綴っていきます。

アルバート・エリス(Albert Ellis)が提唱した論理療法(Rational therapy)にABC理論があります。

心理的問題や生理的反応は、出来事や刺激そのものでなく、その刺激をどのように受け取ったかという認知を媒介として生じるというものです。

例えば、食事が食べられないと元気がなくなったり、病気になりますが、断食として健康法として行うと健康になります。
「食べない」という刺激が病気を生み出すのか、健康法となるのかは本人の受け止め方次第ということです。

ある刺激をどのように受け止めるのかで病気になったり、健康になったり、運命が悪くなったり、良くなったりするのです。

それなら良い受け止め方をしようとするのが、ポジティブシンキングや成功哲学ですが、私はお気楽なポジティブシンキングにずっと違和感を感じていました。
実際、問題点を見ようとしないポジティブシンキングより、問題点をきちんと分析していく現実的思考の方が目的に達成する可能性が高いという科学的実験もあります。

よく本に書かれているのが、コップに水が半分入っていた時、コップに水が半分しか入ってないと考えるのか、コップに水が半分も入っているのかと考えるのかという例えがありますが、どちらも認知バイアスが入っています。

コップに水が半分しか入っていないと悲観してみると行動力が乏しくなって余計に物事はうまく進んでいかないのかもしれませんが、コップに水が半分しか入ってないのに半分も入っていると油断してさらに窮地に立たされることも十分考えられます。

現実的な見方をすれば、コップに水が半分しか入っていないのでも、半分も入っているのでなく、コップに水が半分入っているという事実があるだけです。

このように物事をありのままにとらえようとするのが禅的な考え方で、若い頃から私はずっと禅的なとらえ方をするように心がけてきました。

しかし、最近になってポジティブにとらえた方が良いと思うように変化してきました。

これは自分が心理的に成熟してきたという考え方もできるのかもしれませんが、自分では年齢がいくことで体力がなくなってきたためと考えています。

合気道の開祖・植芝盛平翁は、歳が行けばいくほど体の力が抜けて技に切れが出てきたそうです。

釈尊は、ありのままにこの世を見るように説きました。
釈尊の根本的な教えである八正道には、「正見」があります。
釈尊は、この世は苦である(一切皆苦)と教えているので、悲観主義者として認識されることもありますが、悲観主義者であるからこの世が苦であると説いたのでなく、この世をありのままに見たら苦であったということで、悲観主義者でなく、ニュートラルなのです。

どんな絶世の美女も歳を取れば容姿が衰える、これは苦です。
世の中はいろんな人がいて、それぞれ自分の考えで行動しています。だから、自分の思い通りに物事が進んでいくことはほとんどありません。これも苦です。
世の中は思い通りに進まないし、誰もが歳を取っていくし、病気になるし、死んでいきます。
その事実は苦です。

しかし、それなら永遠に変わらないものを探求していこうという探求心が芽生えてきます。

物理的に永遠の美しさを求める人たちもいますが、無理があります。
(無理があると書いた瞬間に悲観主義が入っていますが(苦笑い))

マザーテレサは、顔中しわだらけになっても、世界で一番美しい女性として取り上げられました。
それは顔立ちが美しいのでなく、行いや心持ちがまばゆいばかりに美しかったからです。

顔立ちが整っていても、嫌みな女性は美しいと思ってもらえません。
行いが美しい人は、細かい顔立ちがどうのこうのという前に人は美しいと感じてしまうのです。

いくつもになっても美しいと思ってもらえるような生き方があり、その要素を細かく分析し、自分の生活習慣にしていくことが30歳を超えた女性の良い生き方だと思っています。

美しく感じてもらえる要素とは、心の余裕であったり、自分や他人を受容することであったり、他人に親切をすることを習慣化していくことなどです。

私であれば男性なので、美しさというよりも、ひとりの男性として、医師として、経営者として、どのような心構えで生きていくのか、それが本当の意味でのポジティブ・シンキングであると思うようになりました。

体力がなくなってくる分、自分の気持ち、気分をいつも良い方向にもっていかないと疲れがたまりやすくなります。

自分にとって都合の良い出来事があったから楽しい気分になるのでなく、自分にとって都合の良い出来事があろうが、都合の悪い出来事があろうが、気分を良い方向に保つ訓練をしていく、さらに自分にとって都合が悪いと感じる出来事は認知バイアスをコントロールして自分にとって都合の良い出来事としてとらえる、もしくは自分のチャンスとしてとらえる訓練をするということです。

例えば、先程のコップに水が半分入っている例でいえば、
「コップに水が半分入っているが、この水を最大限有効利用するにはどうしたら良いだろうか」
という考え方ができるようになるということです。

東洋哲学者・安岡正篤先生は、これを「喜神を含む」と表現しました。

私が尊敬している中村天風師は、山岡鉄舟の道歌をよく紹介していました。
「晴れて良し、曇りても良し、富士の山
         もとの姿は変わらざりけり」

私はこの歌を、自分が順境にいる時(晴れ)も逆境(曇り)にいる時も、人間が持つ偉大な本性は変わらないというように解釈しています。

逆境になると、自分の本性を忘れがちになりますが、自分の本性を忘れずに、一歩一歩現実を良い結果が出てくるように対処していく。
その過程で喜びであったり、感謝であったり、なるべくはポジティブな気分を持って進んでいきたい。
最近はそんなふうに思っています。

今年の自分の誕生プレゼントに入手した中村天風師の色紙です。

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梨の贈り物 ~美容皮膚科医K先生から~



とてもみずみずしくて美味しい梨が送られてきました。
美容皮膚科・内科を開業されておられるK先生からでした。


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K先生とはまだ知り合って間もないのですが、この1年で私の人間関係は大きく変わりました。

昨年までの私の人間関係は、今から思い返してみれば与えることが中心であまり返ってこなかったのです。
自分が得をするために人間関係を築こうなんて考えたことはなかったので、見返りを求めることなく自分がその人の役に立つことができたら良いなと思い、損得勘定することなくいろんな人と付き合ってきましたが、知らないうちに自分が消耗していたようです。

昨年いろんな人間関係を断ち、年末に迷惑メールが多く来るようになったことをきっかけにメールアドレスを変えてほとんどの人には新しいメールアドレスを知らせませんでした。
そして、「引きこもり」と称して(笑)、仕事が終わったらひたすら瞑想をしていました。
短い時で1日2時間、長いと1日8時間くらいは瞑想をしていました。
時間がないと言っても、夜10時から始めても12時まで2時間瞑想できます。
何かやりたいと言いながらやれないのは単なる言い訳と思っているので、自分にとって毎日2時間~8時間の瞑想は当たり前のこととしてやっていました。

話が飛びますが、結婚、離婚を繰り返す女性がいます。
夫の家庭内暴力がひどくて離婚したが、再婚したらまた相手が家庭内暴力がひどいとか、家庭内暴力は振るわないが、今度は博打好きで実は借金が山のようにあったことが結婚してから判明したとか、だらしのない男性とばかり付き合ってしまう女性がいらっしゃいます。

これは、顕在意識では懲りたと言いながら、潜在意識が変わってないので、同じような破壊的な人間関係を作ってしまうのです。

自分の潜在意識のクリーニングをしない限り、人間関係を断ち切っても、人を変えて別な人たちとまた同じようなパターンの人間関係が始まってしまい勝ちです。
そのため、私は新たな人脈を求めるのでなく、ひたすら瞑想に励んでいたのです。

すると、今年に入っていくつものステキな出会いがありました。
K先生とも、お互い東京在住でありながら大阪で知り合うという不思議なご縁でした。
私は運命を信じています。
どんなに離れていても、これまで別々の人生を歩んでいても、知り合うべきタイミングで知り合うべき人と知り合います。

普段はセミナーに行っても誰ともしゃべらず講義を聞いたらそのまま直帰するというK先生でしたが、大阪では一緒に昼ご飯を食べ、大阪は初めてとおっしゃられたので、セミナーの帰りに少し大阪の街を案内しました。
これが東京のセミナーならお互い会話をすることなしに終わっていたかもしれません。

もと大阪人の私にとって北(大阪や北新地など)はきどりがあって本当の大阪とは言えません。
本当の大阪を味わって下さいと言って道頓堀でグリコの看板やかに道楽の動くかにの看板を見ていただき、食い倒れ太郎の前で写真を撮り、551の蓬莱で露店のようなベンチに腰掛けて肉まんとちまきを食べるというコッテリ大阪コースを時間がなかったので駆け足で堪能していただきました。
お嬢様にしか見えないK先生をそんな下町に引きずり回して良いのかなとも思いましたが別世界を楽しんでいただけたようです。

K先生は帰りに、「こんなに優しくてよく気がつく先生なので、私が患者なら先生のファンになってしまいます」とおっしゃっていただきました。
そして、その言葉通り、わずか3週間ほどの間に患者様を4人も紹介していただきました。

別に患者様を紹介して欲しいとか、梨が欲しいためにやった訳ではありませんが、ちゃんとお返しをしてくれる人と知り合えたのです。

もうひとり、形成外科医のM先生とも今年になって親しくなりました。
もともと数年前から少し話をするくらいの関係でしたが、M先生が自分の手術を私に依頼されたのがきっかけで親しくなったのでした。

M先生は語学が得意で、語学力を生かして海外のドクターとも連絡を取り合い、海外の文献を読みこなし、すごい情報量です。

私は友人に自分の持っているものは惜しみなく与えたいと思うので、M先生にも手術は無料で行いましたが、ヒアルロン酸注入やボトックス注入を中心にいろんな知識を教えていただき、注入系に対する私の知識と技術は飛躍的に向上しました。
また、私自身の治療も行ってもらっています。
注入系では、日本でもトップクラスの先生だと思っています。

私のクリニックがある目白は変わった土地で、地主や金持ちが多いためか、飲食店は凝っていて味は良いが高飛車な感じがするお店が多いのです。
不動産所得で生活ができている人がお店をやっているという感じで、お客にペコペコしません。

あるイタリアンレストランは、お店の開店時間も閉店時間もイタリア語で書かれ、ワインのメニューもすべてイタリア語で書かれているので読めません(苦笑)
本当に怒り出したお客様がいたとインターネットの記事で読んだことがあります。

そのお店に味が良いのと、他に遅くまでやっているお店があまりないので、M先生をお連れしました。

私は2度目の来店でした。
私は聞き上手と言われることが時々ありますが、M先生は私との会話に夢中になって、店主さんが料理を運んでも気が付かないくらい夢中に私と話をしています。
しかも、会話が医学の専門的な話なので、他の人には何を言っているのか分からないのを私が平然と聞いています。

M先生が食事代を払ってくれましたが、M先生のようなきれいで才能のある美女に夢中で話をさせ、食事代まで払わせた私は何者? と尊敬の眼差しで店主さんが私を見ているのがありありと伝わってきました。
特に前回とはまったく違った店主さんの眼差しのギャップの差は、観ていて面白かったし、気持ち良かったです。

M先生は節税対策をかなり気にしておられるくらい収入が高く、お互いどちらが食事代を出しても良いのですが、その時の流れでは私がお世話をしたのでM先生にご馳走になった方がお互い気持ちが良い状態が保てたので、私も喜んでご馳走になりました。

このようにこれまであまり返ってこなかった人間関係から、十分に与え、十分に受け取る人間関係になり、私の人生は豊かになり、楽しくて幸福感が増えました。

人間関係はとても大切です。
もし、人生に行き詰まりや閉塞感を感じておられたら、人間関係を振り返って見られることをお勧めします。

時には、家族や親、兄弟、親戚など切りにくい人間関係である時もあるかもしれませんが、自分を邪魔していると思ったり、吸い取られていると思ったら、一時的にでも人間関係を断つことが自分の人生を変えるきっかけになったりします。

マイナスの人間関係を断つこと。
そして、それと並行して自分の潜在意識のクリーニングを行うこと。
半年後、1年後にステキな毎日が待っていることと思います。

プロフィール

永久 晶浩(ながひさ あきひろ)

Author:永久 晶浩(ながひさ あきひろ)
国立神戸大学医学部卒業
目白ポセンシアクリニック院長
https://ssl.possenssia.com/profile/
心のあり方まで含めた「美」についての総合研究者

古代ギリシアから現代アートまで古今東西の芸術的文化を研究している

主な著書に「アルファ型美人のすすめ~愛される美人vs.愛されない美人~」「『NO』と言えれば人生は開ける」

診療日誌を日々更新中

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